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PEGA GAMES
PEGA Games ── 格闘ゲーム「バルチャー・ファイター」と「スニック・ヘッジホッグ」の生みの親。時代の先を見据えすぎたハードを作り続け、勝負には負け続けた、星系で最も愛されている敗者。
概要 OVERVIEW
PEGA Games(ペガ・ゲームズ)は、コーネリアに本社を置くゲームメーカーである。星系中で大ブームを巻き起こした格闘ゲーム「バルチャー・ファイター」シリーズと、音速で走るハリネズミを主人公にした「スニック・ヘッジホッグ」シリーズの開発元であり、ゲーム産業を語る上で欠かすことのできない名門である。
現在はソフト開発が事業の大部分を占めており、若い世代にはソフトメーカーとしての側面しか知らない者も多い。だがこの会社の本当に恐ろしいところは、時代の先を見据えすぎた前衛的な発想のハード開発を、倒れても倒れても繰り返してきた点にある。業界の評は一貫している。「PEGAの作るものは、いつも十年早い」。
創業 FOUNDING
意外に思われがちだが、黎明期のPEGAはゲームどころか、スロットの筐体を作る会社であった。創業者は初代共同社長のスチュアート・リトルとレイモンド・Jの二人である。スチュアートはクロネズミ系のキューソイド、レイモンドはサラブレッド系のアスタロソイドであり、小さな黒いネズミと大きな白い馬が並んで商談に現れる姿は「白黒凹凸コンビ」の通り名で界隈の名物だった。娯楽が決定的に不足していた第1次ライラットウォーズの末期、二人は前線基地や駐留地のカジノ機材を整備する事業を始め、兵士たちの数少ない楽しみを支える仕事で名を上げた。社名は当時の屋号「パーソネル・ゲームズ(Personnel Games)」、すなわち「兵員のための遊技」の頭文字に由来する。同時にこの略称は、天馬「ペガサス」に掛けた言葉遊びでもある。相棒の馬に翼を付ける、というスチュアート流の洒落である。
戦後、二人は整備業で培った技術で自社製のジュークボックス「ペガ1000」を開発し、これが復興期の酒場で爆発的に普及した。会社の呼び名が屋号ではなく製品名の「ペガ」で定着したのはこの頃である。もっとも当時の二人は、自分たちの会社が後にデジタルのゲーム作品を手掛けることになるとは夢にも思っていなかったと伝えられる。
先駆 AHEAD OF ITS TIME
ゲーム産業の勃興とともにPEGAは開発の主軸を家庭用ゲーム機へ移す。そしてここからが、この会社の伝説の始まりである。ゲーム業界の金字塔Nintendouが32bit機を主力に据えていた時代、PEGAはなんと64bit機をリリースした。ドット絵全盛期の世界に、ホログラフ投影式のポリゴンゲームを発売したのである。
立体の格闘家が卓上の空間で殴り合う「バルチャー・ファイター」の初代筐体を初めて見た者たちは、例外なく同じ行動を取ったという。画面の裏側を覗き込んだのである。これは歴史を塗り替える技術であり、長年にわたるNintendouとのシェア対決はこのとき決着を迎えた──と、誰もが思った。
蹉跌 THE PRICE OF THE FUTURE
あまりにも奇抜な発想のハードは、値段の高騰に直結した。PEGAの作り出した作品は面白い。誰もがそれを認めていた。ただ、誰も買えなかったのである。「子供の憧れ、親の悪夢」と評された価格設定に加え、開戦後の半導体不足が追い打ちをかけた。最新鋭かつ時代の先を進み続けたPEGAハードの系譜は、64bit機「ペガサターン」を経て、「ドリキャス」の愛称で知られる最終機を最後に途絶えている。
撤退発表の日、記者会見で「先を見すぎたことを後悔しているか」と問われた当時の社長は、こう答えたと記録されている。「後悔はしていない。未来に早く着きすぎただけである」。この一言はいまも業界人の座右の銘として引かれ続けている。
ソフトの時代 SOFTWARE ERA
ハードから撤退したPEGAは、皮肉なことにソフト専業となってから最大の黄金期を迎えた。看板作の「バルチャー・ファイター」シリーズは学生から兵士まで階層を問わず遊ばれ続けており、大学の食堂に置かれた筐体が講義の出席率を脅かす現象は、数十年を経たいまも星系各地で再生産されている。無線同期で対戦する周辺機構「ボコリングシステム」もこのシリーズの発明であり、とある軍用可変機の操縦系に着想を与えたことは、兵器史の側で記録されている。
「スニック・ヘッジホッグ」は、音速で駆けるハリネズミの疾走感を売りにしたアクションシリーズである。発売当時、実在のハリネズミ系種族から「走るのが速いという偏見を助長する」と抗議を受けたが、当の種族の子供たちが誰よりも夢中になったため、抗議は自然消滅した。主人公の青いトゲ頭は、いまやPEGAという会社そのものの顔である。
記録余話 ARCHIVES
Nintendouとのシェア対決の時代、PEGAが打った広告の文句は星系の広告史に残っている。「PEGAは、Nintendouにできないことをやる」。対するNintendouは一切の反論広告を出さず、ただ静かに次のヒット作を発売した。この応酬は「星系で最も紳士的な殴り合い」と呼ばれ、両社のファンの間では現在も語り草である。
生産終了から年月を経たいまも、ドリキャスには熱心な信奉者が残る。中古市場では動作品が発売時定価を超える値で取引され、「早すぎた名機」の評価はもはや定着した。毎年の生産終了日に、有志がドリキャスを起動して一斉に旧作を遊ぶ「ドリームの日」は、公式が一切関与していないにもかかわらず、星系のゲームファンの年中行事になっている。
なお創業の地であるカジノ機材整備の技術は、現在も社内の一部門として細々と継承されている。星系各地の老舗カジノでPEGA製の古いスロット筐体が現役で稼働しており、整備員の派遣依頼は断らないのが社訓である。「うちは兵隊さんの暇つぶしから始まった会社である。遊びの現場を止めないことが、うちの創業の約束である」。二百年前の共同社長の言葉は、いまも整備部門の壁に掲げられている。